
「アイネクライネナハトムジーク」の森絵梨佳は世界を救う。今泉監督はOZUに一歩近づいた
「アイネクライネナハトムジーク」やっと観てきました。
結婚未満の恋愛のグレー領域を描かせたら日本一だと思う今泉監督が、より「結婚」「家族」という''白黒決着つけなきゃ問題''に迫るこの映画は、それだけでこれまでの今泉映画と一線を画してるし、スリリングです。事実、原作は読んでたのに一秒も目が離せずスクリーンに釘付けでした。
なぜ、とびきりドラマチックなことは何も起こらないこの映画がこんなにスリリングなのか。それこそが今泉映画ではあるのですが、そこを考える補助線として、この映画を観てる間ずっと思い出してた小津安二郎の映画というものがあります。
特別な人やドラマチックな絵空事を描くことを避け、あくまでスタンダードな市井の家族や人々を淡々と全員にフォーカスする天才で、その構図までに破綻のない緻密な”小津美意識”によって、そこに出てる人間自体がみな静かなんだけど途方もなく面白くなってしまう。大事件は何も起こらないのに、ファンタジーのかけらもないのに、一秒も退屈のない映画を作る変態。いや、もとい、天才。ほのぼのとした家族映画みたいに見られることも未だあるけど、かつて周防正行監督が『変態家族 兄貴の嫁さん』(84年)なんてポルノ映画に転換してしまったように、ほのぼのなんてとんでもなくて、人間の残酷さや葛藤というただ白黒つけられない一番残酷でやわらかいモンスター的な部分を描く非常にエッジーな人(変態)なんだと思います。
この映画でも今泉さんは極力エモーショナルなセリフ運びを強いない。このドラマ全体でいちばんドラマチックとも言えるシーンを描かない。だって人間が生きてるというそのことに勝るドラマなんてないんだもの。人物がちゃんと自分の人生を生き、様々なすれ違いの末に妥協(いい意味で)を見出す。ドラマチックではないけど、それは決して悪い人生じゃない。そもそも人生に白も黒もないのだから。
諦観にも似たシニカルさとフラットさとアンチドラマチックな全人類への偏愛。それこそちょっとした神の目線だと思うのです。今泉さんがイエス・キリストに似てるということは置いておいても、今泉力哉という監督は、小津に通じるその感覚をこの映画で手に入れた、という思いを感じてます。すごい。ほんとにすごい映画です。
俳優さん、みんないいのですが、特に矢本悠馬と森絵梨佳夫婦の素晴らしさは圧巻です。特に、個人的には森絵梨佳が写ってるシーン全て持ち帰りたいと思うほど無条件によかった。あの可愛さ。なんなんですかあれ。天使なんて最低に頭の悪い褒め言葉だと思うけど、天使だ。きっと世界を救うだろう。そしてさっきの頭の悪い見立てを引っ張ると、この映画の森絵梨佳こそは、小津映画における原節子なのです。青柳文子、岸井ゆきの、森絵梨佳。こういう奇跡の女優キャスティングを成功させてしまうのが今泉さんの魔法。
観終わって桂花ラーメンに入りiPhoneを見ると、なんとトレンドのトップに「多部ちゃん結婚」とあった。
びっくり。なんてことでしょう。そんなに美味しくない(くせに時々行く)桂花ラーメンがこんなに美味しく感じられたの、記憶がある限り学生以来だよ。
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