映画『あの頃。』の尊さは「ハロオタあるある」にはない。そして増澤璃凜子と海沼未羽がいいので是非観てください
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映画『あの頃。』の尊さは「ハロオタあるある」にはない。そして増澤璃凜子と海沼未羽がいいので是非観てください

あの頃。

実は僕も、’14くらいまでは正月や夏はハロコンに欠かさず行き、誰かの卒コンに行っては泣く。という程度のやや重めのハロオタだったので(近づいたり離れたり。今は少し離れている)、いわゆるバイアスのかかってる観客なんだと思う。

観終わって実はしばらく経っているのだけど、なんというかすぐにTwitterで感想を吐き出す、みたいな気持ちになれず保留にしていた。とは云え、つまらなかったみたいなことでは全然なく、むしろとても楽しめのだけど、それはよくある「観た。号泣した…」みたいなピュアな感想でもなかった。
なので、そのへんの、うまくTwitterでは伝えられなそうな感想をたんに字数を気にせず描いてみたというだけの、映画評ですらなく、何が言いたいわけでもない。

号泣、みたいなことは、最初のあのアヤヤとの邂逅の掴みでグッときた以降は、まるでなかった。ある意味坦々と観ることができた。
その理由を考えてみると、そもそもこれ原作漫画からして、青春最高!みたいな感じ時でも、アイドルヲタあるあるみたいな話でもないんですよね。決していい人ばかりじゃない(現実世界的にはそれは当たり前)、クセや欠陥のある男たちが(現実世界的にはよくある)、偶然、黄金期のハローという磁力に集い同じ青春を過ごす。でも実はみんな一緒、でもなんでもなく、一人一人が別個の、いびつな、そもそも社会からはほとんど見えていない”インビジブルピープル”たちで、そんな男たちの熱さと諦観の間を行き来する青春群像だった。なので、内輪ウケとかホモソ乗りが…みたいな感想を抱く人がいてもそれは「あの頃」どこの男子文化にもあったはずで(僕も当然あった)全然責められない。

2021年のいま、当然世界のルールは変わり、あの頃のそういうホモソのりは「そういうもんだよね」では片付けられなくなり、正直今の温度感で観ると「きついな」と思うところは多々あるし、もしも「全く俺は思わん」という人がいたら、そりゃあなたはやばい。
でもそれがこの原作でも映画でも別に嫌じゃなかったのは、たぶん、モノ語りの底に、確固たる原作者・剱さんの「しょせん一人」という諦観と寂しさが強烈にあり、あれだけ濃い友達がいても、実はどこまで行っても誰もが一人、という謎の低温に包まれてるからじゃないかと個人的には感じている。実際、コズミンは一人で死に、みなそれぞれがそれぞれ別の人生へ駒を進める。青春は映画のように永遠などではなく、ピークなんかもない。過剰なクライマックスや御涙頂戴演出をしない今泉監督と、劔さんという二人の揺るぎない「しょせん一人」っぷりの乾いた低音が重なり、それが少なくとも僕には心地よかった。

もう一つそこに、劔さんを演じる松坂桃李さんの持つ本質的な「しょせん一人」の地味でダークな存在感が重なって、バンドで言えば、劔さん、今泉さん、そして松坂桃李くんの持つ地に足のついた孤独、そこがまさしく「ベース」音になっていて、物語がブレない。
その重厚なベースの音に、秀逸なキャラクターだった西野役の若葉竜也、コズミン役の仲野太賀といった、ギターやキーボード、そしてその他訳のわからない楽器たちが勝手に奔放に鳴っている自由で無責任な感じ(劇伴の長谷川白紙の音楽はまさにそれ)。その「熱と寂しさが共にある音楽のような」感じこそが、この映画の肝なんじゃないかと思う。だから見る人によって見えるもの、聴こえる音は違ってくる。
この青春群像劇は、あくまで「バラバラのいびつな個々が、偶然ハロの一番熱かった頃に集ったあの頃」の話で、ハロオタあるあるでも、過剰な美談でも、俺たちの青春最高でも、絆フォーエバーでもない。

経験も感動も実は固有のものでしかなく、簡単に共有なんてできない。今年のミスiDのキャッチにもした「私だけの物語」だ。だから尊い。それを今泉監督があの筆致で淡々と丁寧に描いている。この映画の尊さはそこにある。

一気に書いただけある低クオリティの文でした。感想おしまい。


追記

『あの頃。』ミスiDが大事な役で二人出ている。

最初は、海沼未羽。オタクを思い切り訝しがる女の子で、彼女の訝しがる顔は日本屈指だと思ってるので、とてもハマってる。今泉力哉監督の新作『街の上で』でも、登場シーンこそ少ないけど下北沢デビュー少女を演じて、その独特な声とオーラを存分に放ってる。

もう一人が増澤璃凜子。なんと、衝撃の人気グラドル役(アイドルAV女優だったかもしれない)。僕が知ってる中でも指折りの異常とも言えるハロのガチヲタで、誰よりもオタクのマインドを知り尽くしてる彼女が、あの「謎に優しい顔」で主人公のオタク軍団に接する演技は、彼女だからこそできる慈愛で、正直涙なしでは見れなかった。

ちなみに増澤璃凜子、本業は演技とモデルですが、実はほんとにグラビアにも興味津々で、E・F・G当たり前の世界において、シンデレラバストという希少価値のあるステータスは、間違いなく凡百のグラビアにはない(見るべきは胴)。

週プレさまはじめグラビア各誌ご担当、編集者の方々。この期にグラビア起用何卒よろしくお願いします。

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